O:ゼロの神話

無は何もないという概念によって、概念として存在する。
しかし、概念として存在するという事実は
何も無いという定義と矛盾する。

そこで、次に取るべき選択肢は以下の二つとなる。

①無という概念を放棄する。
無という概念がなくなれば
有るという概念もなくなり(有るを認識するために対比する概念が無くなるので)
この世もこの場もこのパソコンも存在しなくなり
何も語ることもなくなる。

②無という概念の存在を肯定する。
そうなると、これしか選択肢が無い。

何としても、無とういう概念の存在を肯定し、それを既存の事実として確かなものにする必要があります。どうして?って、、、
そうしなければ、この世もこの場も存在できなくなるからです。

無という概念の存在を肯定します。
そして、それを確かなものにするものは何か

それはゼロ O です。

ゼロ O は何も無いという概念として存在する上に
何も無いという数字として存在することができます。
これにより無という概念は
ゼロによりより確かな存在となり得るのです。

実はこのゼロの気づきは
とてつもないことなのです。

何も無いという数字の存在によって
その対比としてゼロ以外の数字の存在が
それも無限に広がる数字の存在が
認識されることになります。

何も無いというゼロはこれにより
無限の空間を生み出すことになります。

O ⇒ OO(無限)の瞬間です。

ここでは存在しうるあらゆるものが無限です。
時間・空間・エネルギー、、、
無限が渦巻き、混沌chaosが発生します。
Oによって生まれた無限のchaosは
Oによって収束する方向へと力が働きます。
Oに戻る力です。

これにより無限のchaosはやがて均衡をとりはじめ
事態が安定してくると究極のバランス状態になります。
これがOバランスで
この時点をここではZero balance fieldと呼びたいと思います。

このZero balance field を仏教では空と呼んでいるのだと思います。
(私はゼロを原始空と呼んでいます。)

しかし、このZero balance fieldには無限のエネルギーと時空の要素が
緊満しています。
わずかでもゆらぎが発生すると
そこから、ゆらぎの派生がはじまり
どんどんとそのゆらぎはうねりとなり巨大化してゆきます。
そして、ゼロの均衡力の臨界点を超えた時に
ビッグバンが発生します。

これが我々が現在過ごしている宇宙世界の誕生の瞬間なのです。

さて、O ゼロによって誕生した宇宙は
無限の膨張を続けます。
無限のchaosに内包されていた無限のエネルギーは
ブラックマターとして存在しつづけ
宇宙へエネルギーを供給し続けるからです。

さて、宇宙は果たしてどこへ向かうのでしょう?
ここで、こういう疑問が浮かんできますね、、、

無限に膨張し続ける宇宙にも
ゼロ O の力は働きつづけます。
なぜなら、私たちは、私たちの宇宙はゼロ O の中そのものに居るからです。
ゼロ O は万物万象の子宮のようなものだと考えてみてください。

(何も無いという数字ゼロの存在によって
それも無限に広がる存在が出現したことを思い出して見てください。)

無限が暴発し宇宙を形成しはじめ
どんどんと膨張を続けている。
ビッグバンを発端としてエネルギーが光を発し、
星々を生み、生命を生み
万物万象を形成し
精神が誕生し
宇宙の源を想い始めた時

ゼロの力は最大限に及ぶようになり
やがてゼロに戻そうとする力が
事態の収束へと向かわせるステージに入ることになります。

それは
カバラで説かれている
アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じた。
アインは0、アイン・ソフは00(無限)、アイン・ソフ・オウルは000(無限光)
と言われているように
000へ向かうステージです。

万物万象が生じた今これらを即ゼロ O に戻すことは不可能であり
宇宙律、自然律の流れを逆行するような
ともて危険な試みになりかねない方策になります。
(修行と名の付く行為にはこれを求めているように感じます。
これを成し遂げうるのはほんとに稀有な人のみでしょう。)

そこで、ゼロ O は
万物万象を光の存在へと誘導し
それらを全てを和し
無限光の世界
000に至らせる力として働きかけるわけです。


無限光000に至った究極の状態は
いわゆる天国や極楽浄土と言われているものとほぼ同じだと
考えてもいいのかもしれません。

万物万象の全てが000に至り
調和を取り戻した時
000はやがてOに還る。

というのがOの輪廻です。

もちろん、事態が収束したOは
また無を意識することとなります。

そして、また00無限を生んでしまい
000に向かうという
Oの輪廻転生を繰り返すこととなります。


この大きな流れの中の一部として
私たちが存在しており
私たちはOの一部であり
Oは私たちそのものであるということなのだと思います。

Oは決して虚ろなものではなく
私たちの太陽であり月であり母であり父であり
細胞分裂前の受精卵のようでもあり
全てなのだと思います。

このOを我々が日常で使用している数字の0と区別するため
(ほんとは同じなのですが)
真ん中に点をつけて
と表記したいと思います。

追伸 :0→00→000 と向かうベクトルの方向を牽引するのは、0が0の無限の可能性に目覚めた瞬間に発光した、「希望」という名の光だと捉えています。日常生活の中のどいかなる昏迷状態の中にでも、希望光が 0→00→000へと牽引してくれていることを忘れないということが、心身の安寧と健康を保つための秘訣だと思います。どんなことがあっても太陽に向かって伸びようとする植物たちは私たちにそのことを象徴して教えてくれています。色彩応用医学ではこの希望の光をサンスクリット語のashaを用いて表現し、色をyellowの光の色にしています。00からくる無限のエネルギーが000に至るまでの光の色としてはsomaを用い、blueの光の色にしています。somaは神々の飲み物という意味があり植物や液性のものを象徴しているようです。そして全体を包括する0の精神性の象徴としてsunyaという言葉を採用しpinkの光の色として表現しています。sunyaは空性を意味し仏教でいう空のもとになったものだそうです。
これら、yellow、blue、pinkの光を合わせてクリアな光、無限光000が成就するわけです。













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