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こころの地図 発刊になりました。

こころの地図の本が発刊されました。
色調でわかるこころの世界~

 色調を選ぶことで、こころの状態がわかるこころの地図の本が出版になりました。
こちらから購入できます。皆さまよろしくお願い申し上げます。
  フレグランスジャーナル社→fragrance-j

3月18日19日、東京で講座開催いたします。

3/18・19
関東講座開催いたします。
詳細は⇒ 春田式生体エネルギー医学講座Aurabios 10名限定の講座になっております。
3/5までは早割料金が適用されます。
3/10締め切りとなります。 HPからお申込み可能 http://cocolo-karada.jp/

カラーでこころのカウンセリングの講座のご案内です。

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カラーでこころのカウンセリングの講座のご案内です。~ ↑をクリックしてプリントアウトしてお申し込みください。もしくは、クリニックのお問い合わせフォームにCoconavi講座受講希望と記して、お名前、ご連絡先を明記の上お申し込みください。 こころとからだをカラーカウンセリングでナビゲートするセラピーの講座です。クリニックの臨床で培ってきたノウハウをお伝えいたします。Coconavi講座2月11日(土)開催です。カラーに興味のある方、こころの悩みにアプローチしたい方この機会にどうぞ~(^^♪

一時停止 -0:11

食養講座のご案内~♪

7月17日、食養の講座を行います。
私が過去に過労で倒れ、復活する過程で得た経験をもとに構築した理論です。これは病気からの回復に悩んでいるかたの、食事での回復方法を会得してもらえるものになっています。
そして、もう一つは私の色彩を活用した、日常における食品の選び方をまとまあげた理論になります。大きくこの2本だてでお話しさせていただきます。

そして、なんとこの講座はそれだけではありません。
マクロビのお食事で有名なあのcredoさんのマクロビオティックカウンセラー 米澤 万由美さんもお話をしていただきます。(マクロビの食養や望診法など)また、そこでは体質別の味の感じ方の実体験会もあります。
http://www.credoland.jp/
一度にこれだけの内容を聴ける講座はまず他に無いと思います。
この贅沢な講座、是非この機会にご参加ください。

  お申し込み法はこちら⇒ http://cocolo-karada.jp/files/9914/6534/5342/2.pdf

100 %という言葉の落とし穴

100 %を目指すというのは疑わしい
99.9%を目指すというのは真実味がある。
100 %という言葉がどれだけ多くの人を不幸に陥れてきたか
そこには白か黒しか認めないという、とんでもない落とし穴がある。
これは恐ろしいことです。
100 を達成しなければ一切が認められないのです。
99. 9%を目指すという時、そこに至るまでの全ての過程が含まれている。
100 %を目指すという時、達成すべき結果だけがそこにあり、

そこに至るまでの過程は含まれていない。
そういった認識が皆の潜在意識に潜んで居ることを早く気づいたほうがいい。
少なくとも、いつまでたっても幸福を感じることが出来ない
と思っている人は、
よく振り返ってみて下さい。

思い当たるところがあるのではありませんか⁉

植物に脳が無い理由

植物は開放系なので全てと繋がっている
なので、移動する必要がない。
動物は閉鎖系なので全てと繋がるためには
移動する必要があり、さ迷うこととなる。
植物は全てと繋がっているので
脳の必要がない。
動物は全てと隔たれた閉鎖系なので
全ての代替えとして脳が必要となる。


脳はやがて精神を生み
全てと繋がる場を形成する。
そして、その精神を養うのは
食物となる植物である。
そう、考えると食の大切さがよく解るようになる。

Circadianism2

分刻みの生活をどう生きるのか
最大の課題ですね
社会構造を変えるにはとてつもなく膨大な問題があるし
かといって、本来のあるべきリズム(Circadian rhythm)
で生きれば、少なくとも資本主義社会からは離脱せざるを
得なくなってくる。 この悠久のリズム(Circadian rhythm)こそが、アムリタであることは
誰もがわかっているのに、実行ができないでいます。 今か今かと青信号を待つ人
まだかまだかとお店で順番を待つ人
仕事に遅れそうで駆けてゆく人
クラクションを鳴らす運転手・・・ 都会に行くほど、自然の享受は少なくなり
チクタクチクタクと時刻を刻むリズムが主役となり
人々のこころは刺さるように、殺伐としてゆきます。 いったい、私たちは何をしてるのでしょ!? この、根底には 突き詰めてゆくと、「比較」というものがあります。
悠久のリズムに私たちは、時計という物差しをあてがい
早い、遅い、の比較ができるようになりました。 それまでは、目に見えるものを比較するだけで良かったのですが
時間という尺度を時計によって視覚化にすることにより
比較する対象が一次元増えてしまい、大変なことになってしまったのです。 この時から、悠久のリズムは人間の意識から
はるか彼方に遠ざかってしまいました。
まるで母なる、ゆらぎから切り離されたかのようです。 だから、私たちは寂しいのです。 これを、取り戻すには
「比較」という意識をやめなければなりません。
それしか、具体的な手段がないというのが
今の私の答えです。 そういう、私、全くできてません。 「比較」しまくってます。 でも、幸せになりたいので「比較」からの卒業に トライしてみようと思います。